佐藤可奈子(旧姓:坂下)

かなやんファーム代表
農とくらしのプロデュース



私たちは、豪雪農業がつくる、ちいきの生き方と文化を未来につなげ、生きる喜びを、愛する人たちへ手渡すために、農業をしています。


非農家出身、移住、就農した身として、これまで支え育ててくださった地域の皆様への恩返しとして、農業の可能性と価値をどんどん広げ、つながれてきたものをより輝かせ、これから後ろへ続こうとする人たちの背中を押すために、邁進する日々です。

佐藤写真


お問い合わせメールはこちら→kanakosakashita0522●gmail.com(●を@に変換)



1987年5月22日、香川県生まれ。
立教大学法学部政治学科を卒業。

大学時代は海外で働きたいと思い、アフリカの紛争解決、人道支援などをテーマに勉強。長期休暇を利用して、 ケニア、ルワンダに行くなど勉強を続けたが、行けば行くほど、紛争は人のこころから生まれると実感。
あいつが嫌いだという気持ち、それがほしいという欲…。
もっと根本的な問題の解決をしたいと思い、日本の足元から見直し始める。

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ちょうどそのタイミングで、特定非営利活動法人JENが中越地震の復興支援として当時6軒13人だった池谷集落にて行なっていた農業ボランティアに参加する。


限界集落と言われていたが、集落の皆が「集落を存続させたい」「限界集落から脱して、日本の過疎地を元気づけたい」という気持ちでひとつになり、前を向いて一生懸命船をこいでいた姿に感動して、その後定期的に通い始める。
通う度に集落のみなさんは、農作業や、土に向かうことを通して、生き方、自身の哲学、ひと、文化、伝統、コミュニティなど、農業が生む目に見えない大切なものをたくさん教えてくれた。
それらが限界集落という名でなくなってしまうのがとてもとても嫌だった…
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地域を繋げるためには、それらをつくる農業を繋げよう。
そう決意し大学を卒業後すぐ、2011年2月に移住し就農。
とは言え、憧れる生き方と憧れる背中があったことが大きい。。。


当時は空き家がなく、旧池谷分校の理科室に住みながら、農業に加えて分校の管理者である十日町市地域おこし実行委員会の農業体験や活動の仕事をしたり、分校に宿泊する方々の対応もしたりした。
分校に2年半住み、その後農業の師匠である曽根さんと二人暮らしを1年し、
師匠とともに田んぼ

2014年、市内在住の男性と結婚。
独身氷河期を救ってくれました(笑)
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2015年9月に長女「あさ」を出産。 
たくさんの方々に支えられ、今を生きています。


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お米とサツマイモを生産、販売。
お米(魚沼コシヒカリ)は池谷集落の直販「山清水米」として。
さつまいもは農薬を使わない、天日干しの干し芋として販売。
干し芋写真


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2011年2月移住 23歳。集落の人たちから手取り足取り農業を学ぶ。

2012年春 農業研修を受け始める。

2013年冬 女性用農作業着NORAGIを開発。

2013年夏 移住女子フリーペーパーChuClu(ちゅくる)発刊。編集長を務める。
      クラウドファウンディングで資金集めをしたFAAVOの移住女子ページ
     移住女子web  
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2014年5月 農業研修を終え、個人事業主として「かなやんファーム」設立。

2014年7月 十日町市農業委員に就任

2015年7月 十日町・津南ファーマーズ「ちゃーはん」プロデュース。商品券付きムック本「feel field」販売。
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2016年 新潟県農林水産審議会委員
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【連載】
新潟日報「きぼうしゅうらく 移住女子とやま暮らし」(第1・3土曜日)
全国農業新聞「一粒万倍」 

【メディア】
BSN新潟放送、TeNYテレビ新潟、UX新潟テレビ21、NHK、NST新潟総合テレビ 
テレビ朝日「報道ステーション」”移住女子、限界集落からの挑戦 ”
日本テレビ「NNNドキュメント」移住女子〜私がムラを選んだ理由〜
TBSテレビ「あさチャン!」「Nスタ」他

【雑誌掲載】
TURNS、日経ウーマン(2015年3月号)、anan(2014年1月8日号)、ソトコト(2015年12月号)、農業ビジネスマガジンvol.6、家の光協会「地上」(2012-2013連載)、トランヴェール 他

【webメディア】
greenz.jp→掲載ページ 
かもめの本棚online→掲載ページ

【新聞掲載】
新潟日報、日本農業新聞、全国農業新聞、毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞、The Japan Times 他多数